[ 西安と2度目の北京編 ] 永泰公主墓
永泰公主墓
| 永泰公は中宗の娘で、高宗と則天武后の孫にあたります。則天武后にかわいがっていましたが、則天武后を中傷したと聞いて、わずか17歳の永泰公に死を命じました。(棺には「難産により亡くなった」と書いているそう...) 中宗は則天武后の死後、洛陽にあった娘の墓を乾陵の近くのこの地に移し葬りました。墓は1960年に発掘。墓道の壁画は現在陝西歴史博物館に保管されています。(墓道内部にある壁画は1970年の復元。) |
![]() 乾陵博物館にあった永泰公主墓の断面図 (永泰公主墓内部は撮影禁止でした。) |
![]() |
![]() |
||||||||||||
| 永泰公主墓と乾陵博物館は 同じ敷地内にあります。 |
永泰公主墓の高台。手前の 建物が永泰公主墓の入口です。 |
||||||||||||
| ■乾陵博物館 | |||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||
| 乾陵からの発掘品を展示。 唐三彩が充実しています。 |
墓道の壁画のひとつ(復元)。 シルクロード交流を描いたもの。 |
||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||
| 複雑な形と色合いが 見事な鎮墓獣。 |
緑色の透明感が美しい緑瓶。 | ||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||
| 彩絵女立傭。 | 彩絵舞踏騎馬傭。 | ||||||||||||
【DATA】
|
|||||||||||||

















